Technorealism
https://www.technorealism.org/
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英文: https://www.technorealism.org/
テクノレアリズム:概要(コピー、訳 力武健次氏)
Contents
1. テクノリアリズム: 概要
Technorealism: Overview
Japanese Version 0.041 January 19, 2000 日本語版 バージョン 0.041 2000年1月19日
(この文章は Technorealism: Overview を、力武 健次が日本語に翻訳 したものである。 翻訳についてのコメントは「訳者コメント」に記した。)
技術的変化に中毒してしまいそうなほど変化の激しい現代に、私達は皆自分たちの道を見失うまいともがいている。 通信やコンピュータの分野で日に日に明らかになる開発成果には、興奮させられると同時に、脈絡のなさに混乱させられる。 このような状況への反応として、次に述べる疑問が出てくることは理解できる: これらの変化は良いのか悪いのか? 私達はこれらの変化を受け入れるべきなのか、それとも恐れるべきなのか?
答えは両方だ。技術は生活をより便利にし楽しめるものにし、そして私達の多く をより健康にし、経済的に豊かにし、賢くした。しかし、それはまた仕事や家庭、 そして経済に対して予測できなかった方向に作用し、私達の現実のコミュニティ の結合に対して、新しい形の緊張や散慢さそして新しい脅威を与えている。
技術のもたらすものは複雑でしばしば自己矛盾するが、それに対する伝統的な常 識は悲しくなるほど単純化されている。評論家や政治家、そして自称未来予測家 達がこの技術の複雑さをハイテク地獄かサイバー天国のどちらかの息つく暇のな いお話の集まりに単純化しようとする時、彼らは私達に対して害を及ぼしている。 このような極端な考え方は性急な期待と不必要な不安につながり、そして私達が 自分たちの文化を理解しようとすることを妨げる。
過去数年にわたって、技術に関する議論は声の大きい人達によって極端なもの一 色になってしまったが、それでも新しい、よりバランスの取れた合意がひっそり と形成された。この文書では、私達がテクノリアリズムと呼ぶことになったその 合意の背景にある共有された信念のうちいくつかについて明確にすることを試み る。
テクノリアリズムは、私達が人類の進化と日々の生活の中で道具やインターフェー スがどのような役割を果たしているかについて批判的に考えることを要求する。 この見方の重要な一部には私達の次に述べる理解がある。現在の技術の変化の潮 流はもちろん重要であり強力なものだが、実は歴史の中でずっと続いている変化 の波の一部なのだ。例えば、自動車やテレビ、あるいは電話といったものの歴史 をたどっていくと、それらの装置自身だけでなく社会の仕組みとして見た場合に、 私達はそれらが大変重要な利点を持っていると同時に、無視できない犠牲を払っ ていることを知る。同様に、私達は今日発達中の技術が利点と欠点を併せ持つこ とを予見し、予測のつかない事態が起こることについてずっと警戒していなけれ ばならないことも期待している。そのような不測の事態は熟慮されたデザインと、 適切な利用で防がなければならない。
テクノリアリストとして、私達はテクノユートピアニズムと新ラディズムとの中 間にある豊かな土地を広げることを模索している。私達は技術の「批評家」だが、 それは他の人達が食品批評家、芸術批評家、あるいは文学の批評家であるのと同 様の存在であり、同じ理由によってそうなっている。私達はある技術に対しては 情熱を持って楽観的になるだろうし、他の技術には懐疑的かつ軽蔑すべきものと して扱うこともあるだろう。それでも、私達の目標は、技術を擁護することでも なければそれを切り捨てることでもなく、むしろそれを理解し基本的な人類の価 値観に則った形で適用していくことにある。
以下はテクノリアリズムを説明するために役立ついくつかの進化しつつある基本 的な原則である。
1.1. テクノリアリズムの原則
1.1.1. 1. 技術は中立ではない。
現代の大きな誤解の1つは、技術は一切の偏りから自由だという考え方、つまり 技術は生命を持たず変化しない人工物であるから、それは他者に対してある種の ふるまいを助長することはないという考え方である。本当は、技術には意図され たもの、あるいは意図されてはいないもの双方を含む、社会的、政治的、そして 経済的な傾向が伴う。全ての道具は、その利用者に対して特定の世界観による手 法を提供し、他者と関わるための方法を提供する。私達一人一人にとって重要な のは、種々の技術のもつ偏りを考慮し、それらの中で私達の価値観や期待(あこ がれ)を反映しているものを探し当てることである。
1.1.2. 2. インターネットは革命的だが、ユートピアではない。
「ザ・ネット」(インターネット)は傑出して優れた通信のための道具であり、広 範囲な新しい機会を人々やコミュニティ、企業、政府にもたらす。しかしサイバー スペースの人口がより増えるにつれ、それは一般社会にますます似てきており、 その複雑さも同様に増している。(ネットに)接続された生活が人々を力づけたり より良い知恵を与える個々の視点のすべてに対して、悪意や倒錯、あるいはより つまらない側面もあり得るのである。
1.1.3. 3. 政府には電子フロンティアに対して果たすべき重要な役割がある。
ある種の主張とは違い、サイバースペースは正式に地球から分離された場所ある いは領土ではない。もちろん(現実社会の)政府はサイバースペースで生まれた規 則や慣習を尊重すべきであるし、またこの新世界を非効率的な規制や検閲を持ち 込むことで発展を阻害すべきではないが、道義に反する市民や不正を働く会社が オンライン上でしていることに対して一般公衆が何の主権も持たないと言うのは 馬鹿げている。人々の代表、そして民主主義的価値観を守る者として、国家は伝 統的な社会とサイバースペースを統合するための権利を持ち、責任を負っている。 例えば技術標準とプライバシーの問題は、市場だけに任せておくにはあまりにも 重要な問題である。競合するソフトウェア企業は、完全に機能する対話的なネッ トワークにとって重要な開かれた標準を守ることにはほとんど興味を示さない。 市場は新しい発見を促すが、公衆の利益を保証するとは限らない。
1.1.4. 4. 情報は知識ではない。
私達の周囲のすべてで、情報はより高速に動き安価に得ることができるようにな り、そしてその利点は当然のことと宣言されている。そう言われながらも、情報 量の増大は同時に深刻な問題であり、新しい方法で人類の規律と懐疑的精神を実 現することを要求している。私達は、情報を得たりすばやく配布したりすること の興奮と、より困難を伴うそれを知識や智恵に変える作業とを取り違えてはなら ない。いくら私達のコンピュータが進化しても、私達はそれらを私達自身の基本 的な認識能力である物事に対して気づくことや知覚すること、理由づけること、 そして判断することの代用品として使うべきではない。
1.1.5. 5. 学校を接続することはそれらを救うことにはならない。
アメリカの公立学校の問題 --- 資金力の隔差、社会的な知名度、膨れ上がった 学級規模、ボロボロの成立基盤、標準のないこと --- これらは技術とはほとん ど何の関係もない。つまり、どんな技術もクリントン大統領や他の人達が宣教し ている教育的革命には全くつながらないのである。教育の技はコンピュータやイ ンターネット、あるいは「遠隔学習」によって置き換えることはできない。もち ろんこれらの道具は、すでに高い品質の教育の経験をより高めることはできるだ ろう。しかし、これらを万能薬として頼ることは、高いツケを払う間違いになる だろう。
1.1.6. 6. 情報は保護されたがっている。
サイバースペースやその他の最近の技術開発が私達の著作権関連の法律や知的所 有権を守るための枠組を変えようとしていることは事実である。しかし、その答 えは、既存の成文法による規則や判断原則を捨て去ってしまうことではない。そ の代わりに、私達は古い法律や解釈を新しくすることで、古いメディアの文脈で それらが情報を守ったのと概ね同等の保護を与えるようにしなければならない。 目標は同じである: 作者に対して作った作品をどうするかについて今後作品を作っ ていくための動機をもたらすのに十分な管理権を与えると同時に、一般公衆がそ の作品としての情報を公正に使うための権利を守りつづけることである。この目 標の2つの文脈どちらから考えてみても、情報は「自由になりたがっている」わ けではない。むしろ、情報は保護される必要がある。
1.1.7. 7. 電波は一般公衆のものであり、一般公衆はその利用の恩恵を受けるべきである。
最近の放送事業者に対してデジタル周波数スペクトラムの電波がタダ同然で与え られたことは、技術の分野において腐敗しかつ非効率的な公共の資源の不正使用 が行われたことを象徴している。一般市民は公共の周波数の利用の恩恵と利益を 受けるべきであり、その周波数スペクトラムの一部を教育的、文化的、そして公 共アクセスの利用のために保持すべきである。私達は公共の資源をより私的な利 用のために要求すべきである。
1.1.8. 8. 技術を理解することは地球的市民権の重要な要素とすべきである。
情報の流れが動かす世界では、情報を見えるようにするためのインターフェース、 そしてその下地にある規則が非常に強力な社会的動力になりつつある。これらの 強みと限界とを知り、そしてさらにより良い道具の創造に参加することは、行動 する市民の一人となるための重要な部分を占めるべきである。これらの道具は私 達の生活に対し法律と同程度の影響を与えるものであり、私達はこれらの道具を 法律と同様に民主的な監視下に置く必要がある。 1998年3月12日から、1700名以上の人々が上に述べた原則に対して署名している。 現在の署名リストはここにあり、そして ここに署名を加えるため の方法がある。
(訳注: この署名リストは英語で記述されているので署名は英語で行うべきであろう。)
テクノリアリズムの原文(英語) [リンク]
原案制作者への連絡を取るための方法(英語)
テクノリアリズムのカナダ・フランス語による解釈
テクノリアリズムのスペイン語による解釈
テクノリアリズムのイタリア語による解釈
テクノリアリズムの日本語による解釈
テクノリアリズムのスウェーデン語による解釈
1.2. 訳者コメント
以下はこの翻訳に関する訳者の私見である。
「テクノリアリズム」を「技術現実主義」とこの文章ではあえて訳さなかった。 現実主義というには、この考え方はかなり先進的だからである。もちろん、現実 の政治社会体制をふまえた意見ではあるが、筆者は技術に対して否定的ではない。
翻訳内容に関して前野 年紀氏より諸々の指摘をいただいた。氏の指摘の一部は 氏の許可を得て訳文に反映した。ここに感謝の意を表す。
翻訳の表現に関して冨永 和人氏より指摘をいただいたので、訳文に反映した。 ここに感謝の意を表す。 Copyright information この文書の著作権に関する情報
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